日野市立図書館は1960年代に建物なしの図書館サービスで有名になりました。自動車に本を積んで全市のサービスポイントを廻ったのです。それだけでは魅力的な本がそれほど手に入るように思えませんが、リクエストを受付けて、その本は2週間後には必ず届けることを徹底したので、利用者は爆発的に増え、当時の図書館利用の水準を一気に上げました。
インターネットの普及した現代からは想像しにくいですが、リクエストされた資料は、市が購入出来ない場合は都立図書館あるいは国立国会図書館からの相互利用によって提供される、このようなネットワークは当時法律の中にしか存在しない状態だったのです。
それゆえ1973年に完成した中央図書館は2200平方メートルと今から見れば小規模ですが、その後の公共図書館平面計画の一つの典型となりました。主となるのは蔵書の殆どを開架とした読書室、同様に開架の児童室と両方をみるコントロールカウンター、別室としたレファレンス室とそのサービスカウンター、移動図書館用の書庫と自動車文庫の車庫、その全部を効率よく統括出来る位置に事務室を設けるというものです。この考え方は1970年当時のイギリス、アメリカ、スカンジナビアの公共図書館をモデルとしています。
しかし現在はコンピュータの進展に伴いこの構成は変りました。1999年のデンマークのゲントフト図書館ではレファレンス室と一般開架室は同一の部屋として扱われ、蔵書は一体のものとして主題別に配架され禁帯出の本も混在していました。かってのカタログホールはサービスカウンターが集約されて、空間の印象は変わっていました。その後を追っていないのですがサービスの形態はさらに変っているでしょう。